Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

美しいことだけに目を

僕が美しいと感じることは大抵波です。

 

当たり前ですよね、人間が知覚できることの見るや聞くは光や音波ですから。

 

本音を書くとですね、僕は消えてしまいたいのです。

 

奇麗なものは僕とは対照的です。

僕という人間が知覚できるからこそ、そこにあるものは美しいのです。

 

こんなにも美しいものをわかる自分が、何の意味もない仕事をしないといけないだとか意味がわからない。

 

このことは誰にも否定できません。あらゆる批判は単なる文字ですから光ですよね。

 

僕は美しいものだけを見ていきたいのです。

わずらわしさから解放されて、ただ自分という感受体に情報を入れるだけの行為で一生を終えたいのです。

 

いずれこの感性も、考え方も、何もかも生理的現象により再構築されて僕は今までを自分だと思い込み過去の自分を欲し、現在の自分を否定する。

この否定は僕以外が決して行えないことですから、僕が感じたことは時間が保存してくれます。この否定により全てが失われるわけではありません。

保存されたことへの批評がこの否定になります。

 

これがどれほどおぞましいか。

僕は多くの時間を所有しており、その時間は映像として出力はいかなる場合でも行われませんから想像するわけです。

 

美しかった思い出も未来では美しさにより未来が失われ、相対的などという狂気が人生の一点をひどく汚します。

 

美しさは睡眠時間や運動、バランスのいい栄養の摂取が必要不可欠なので行き過ぎた労働や、汚い精神の持ち主との距離を稼ぐことが必要になります。

 

このような目標は簡単ではありません。

 

一日のうちに感動できることが一度もない日があればそれは無意味な日です。

 

多くの人が無意味な日を送ることはありません、これは僕の人生に限ったことであるから僕はこんなにも苦悩を抱えることになってしまっているのです。

 

僕は、ただ人間が人間だというのならそう演じて欲しいだけなのです。

時に、動物的なふるまいをして見せたりするなと言いたいだけなのです。

 

この深い深い悲しみは僕にしかわかりませんから誰かに口頭で相談するようなことはありません。

 

僕は、僕の名前が間違えられるたびに涙を流します。

自分の名前にアイデンティティーを持っているのでとても悲しいのです。

しかし、このことは間違われている事実から相手は名前にそんな感情は抱いていないことがわかるので何も言うことはありません。

 

その都度、訂正を願うことはとても心労になりますから。

 

他人などどうでもいいは嘘になります。

他人はというのはあまりにも大きな枠で語ることななりますから、適切な言葉を使わないといつか自分を傷つけてしまうことに繋がりかねません。

 

多くの言葉の通じない人間としては扱えないような存在と同じところで生きないといけない僕の収入の低さが問題なのです。

これは他人の問題ではなく自分の問題です。

 

決して、人間の能力が遺伝であったり幼いころの生育環境であったりそういうことではなく、気づいているのに変えようとしない、変えることができていない自分への評価のことです。

 

僕はただ、明日が欲しいなと思いながら何の悩みもなく眠りたいだけなのです。

他人の言語的なおぞましさが時折、僕の眼球に入ってきてしまい気持ち悪い思いをしますが、そんなのは不特定多数が発言を許されたプラットフォームに時間を使うことを許した結果起きることですし、やめればいいだけなんですよ。

 

本当に考えないといけないことがあるとしても、そんなのは宇宙がきっと否定してくれます。

 

他人の気持ち一つ、睡眠不足一つ、否定一つで明日にも命を奪い取られてしまいかねない環境に生きている。

 

こんなこと、考えられるのはきっと暇な僕くらいだろうか。