Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

金と引き換えにした命の理由

人はこれぐらい働いたら死んでしまう可能性があるという指標を持っている。

 

そういう指標は科学的な根拠と共に決定されなければならない。

そして、変更される場合は悪意がそこにないことを確実に確認しなけれないけない。

こういうことは大抵時がかなり経過したときに問題になるので責任者というのは政治同様に存在しない。

 

そうして、8時間以上は働いてはいけないと決められたはずなのになぜか過労死する人間が未だにいる。

その理由は例外を作るからである。

8時間以上労働をさせる場合には、法定の罰金を支払うようにと決まっている。

罰金なのだ。

してはいけない、させてはいけないことなのだ。

 

パーキンソンの法則にこうある、仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。

 

つまり、8時間が最低限であって実際にはそれ以上の時間が必要になる業務量を与えるというケースが存在している。

これは、とても恐ろしいことなのである。

 

どういうことか詳細にここに記す。

 

①人間は金銭のために他人を過労死させることができる。

②人間が過労死するタイミングは誰も知ることができない。

③人はあまりにも自分を大事にしていない。

④国や政府は守ってはくれない。

 

以上のことから、人間は自分を大事にできないからこそ過労死が可能になっていると考えられる。

 

では、限界というものはどうしたらわかるのかについて考えてみよう。

例えば、先ほども話した過労死するタイミングを誰も知らないという話だが、これは何時間働けばその通りにぱったり死ぬということがなく、かろうじて動いているから大丈夫という何ともお粗末なものであるからあてにはならない。

 

過労死のほかにも精神衰弱などで自ら死んでしまうことも近年はよく注目されている。

 

過労死までの状態を細かく記していく。

 

①睡眠時間の減少

②栄養不足

③自身の考えが変化する。←ここら辺で他人の助けなしでは手遅れになる。

うつ病になり休職または退職、働き続けるかは身内や友達次第。

⑤ここからは我慢の連続で次第に自我が失われていく。

 

以上のフェーズを踏まえて人は過労による死亡に至る。

 

家族や友人がいて、尚且つ日常的にコミュニケーションを行っていれば助けてくれると思います。

 

自分が死ぬということは労働の最たる理由である、生計を立てるために金銭を得るというものがありますが死んでしまうと意味がありません。

 

ではなぜ、死んでしまうようなことになってしまうのか、それは洗脳です。

 

働く場所がここしかないや、お金が無くなると死んでしまうといった情報の少なさに起因するもので人は死にます。

 

僕は仕事をいくつも転々としていますが、病死や事故死以外で死ぬと思ったことはありません。

 

仕事は単なる時代の通過点でしかないのです、今は必須と思い込んでいる人もいるかもしれませんが実際に何百万人と働いていませんし、子どもや老人を含めると何千万人にも達すると思います。

 

このことから、過労死してしまう人は何かしらの思い込みや仕事を特別視しているのではと思います。

 

ぎりぎり死んでいないだけで死にそうな人は今まで何人も見てきましたが、仕事が好きな人や自分が居ないとだめだと思い込んでいる人ばかりでした。

 

これは、批判ではなく事実そうだと確信しています。

 

選択肢を多く持つために日ごろから学習を行うことや、余暇を他人と過ごすなどといった脳内を風通しのよい状態にして凝り固まった考え方は見直さないと死ぬ可能性があります。

 

あなたが死んでも世界中の人が悲しむわけでもありませんが、大切な家族が深い悲しみに暮れてしまうのは嫌だと思います。

ですので、働きすぎることや睡眠不足はやめにしましょう。

 

この世は狂っています、少なくとも子どものころに教えられていた世界とはまるで異なります。地獄だといっても過言ではありません。

 

そんな地獄で唯一天国に行けるのは思考の自在化だけです。

多くの考え方を身につけましょう。

 

日常と呼んでも差し支えないほどに費やす仕事では、その環境にある考え方に影響されます。ですので、その考えがおかしいと思ったのであればメモに残すことです。

初心を忘れないことです。

 

変な奴だと思われても変なことをしている人が多いとそれが普通と呼ばれます。

 

自分を信じてください。

 

この国は数十年前までは喜んで死ねと教えていたのですから。