Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

デジタル機器の人間支配

人間が生きるために必要な電気も何もかもインフラも購買もデジタル機器を使用して管理されている。

 

これは人間のゆとりをなくす。

 

便利になったじゃないですか?

と言われそうだが、必要なことがそこには必ず存在した。

 

新たに自由な時間をデジタル機器により創出できたとして何割の人間がしたいことに時間を充てられるだろうか?

 

結局、デジタルになったところは新たな仕事が生まれてその空いた穴に埋められる。

 

そうなると、人とのふれあいや会話がデジタルに置き換わる。

 

このことにより、便利になったと思ったが、そのつかの間さみしさが余計に増える。

 

DVDを借りに行く時間や、ご飯を夜にドライブを兼ねて買いに行く時間。

そんな大切な時間が奴隷労働によって取って代わられてしまう。

お金じゃ変えない大切な時間だったと思います。

 

セックスもAVを見て満足してしまったりして恋愛をすることを避けてしまう人が多くなってしまい人口が減り自分たちが大変な思いをする。

 

機械は富めるものをさらに富ませるが、貧しきものをさらに貧しくさせるものであることを僕は知っている。

 

デジタル機器が子どもの教育にまで侵食してしまっている、どんな副作用があるかも知らない役人が流行りと利権のために利用してしまう。

そして、そのことについて考える力を持たないなんでも検索してしまう検索人間が事の真偽すら考えずに鵜呑みにしてしまうようなことが増えているだろう。

 

この、デジタル依存が迎える先は認知症、~型認知症罹患者が増加することは目に見えている。

 

どれだけ必要のない時間にスマホをいじってしまい本来しないといけないことに時間を割けないでいるか、そんな心当たりはないだろうか?

 

僕のここ一週間のスマホ使用時間は1日10分未満である。

これは、そうしようとして変えたのである。

 

意志による行動決定はなかなか難しいことを知っているので習慣化させることをいつも念頭に置いて考えている。

 

例えば、スマホであれば最低限の連絡など以外は触れない場所、物理的な距離をとっている。

 

こういうことができる人は多くはないだろう、誘惑というものは抑えようとすればかえって強力な反発を生む。

 

人間の特性や性質を理解することで、習慣化はそんなに難しいことではない。

 

デジタル機器依存が及ぼす影響はかなり大きく激しいものであるから一人ひとりが考えて行動しなければならない。

面倒なことも必要だと割り切って行わなければならない。

 

飯くらい最低限自分で買いに行け。

 

僕はそう思う。