図書館に訪れることが最近は増えてきた。
図書館では学生がよく学習をしていて統一された雰囲気があってとてもいい感じがあった。
何時間か学習をしてると体が凝ってくるので蔵書をいくつか見て回るようにしている。
少しくらいうろついても何ら不思議なことではないだろう。
最近手にした本は、「ママが必ず知っておきたい! 子どもに言ってはいけない 55の言葉」と、「オール1の落ちこぼれ、教師になる」の二冊です。
ママが必ず知っておきたいというのは多分X(旧ツイッター)では炎上するような題名ですよね、ですがこの本を読むような気位の高い人はXなど使用しておらずこの本が炎上に巻き込まれるようなことはないと思います。
オール1の落ちこぼれ、教師になるという本は昨日読了いたしまして感想を言おうと思います。
その前に、著作権違反に該当しないようにしないといけませんのでここにどうすれば使用しても構わないのかを考えていきます。
1.他人の著作物を引用する必然性があること。
2.かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
3.自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
4.出所の明示がなされていること。(第48条)
上記を確認した感じ問題はないように感じます。
一応、リンクを載せておきます。
安心に至ったところで、話していきたいと思います。
僕の感想は、この人はトラウマや臆病さから学習できなかった、両親を失ったという経済的な収入を失ったなど大きな影響を受けて一般的に落ちこぼれになったという印象でした。
やはり、最初から安定した生活では頑張ろうというようなハングリー精神みたいなものは強烈な憧れがない限り特段に努力ができるものではない気がしますので、この宮本延春さんは強烈な憧れを持つことができた結果、有名国立大学に合格できたんだろうと思います。
常軌を逸したような頑張りが窺えたので、自分もこうなりたいなと安直ながら思いました。
なぜ人が憧れを持つのかはその箇所以外を無視できるからだと思います。
とんでもない努力量を鑑みれば相当であると思いますが、その背景を知らなければ簡単にあこがれの対象になってしますのです。
僕は簡単にその背景を知らずに憧れることは、僕はあまり好きではありません。
その行為を感情のチーティングと呼んでいます。
簡単に憧れる、感動できるものはなんだかその過程を飛ばしているような感じがしてしまいます。
ですので、僕はすごい人を見るとその人の半生がとても気になります。
結局、人から見てすごいから本になっているので多くの人がこの人と同じようには多分なれません。
何が言いたいかというと、本を読んだらそこから学んだことを実行しないとあまり意味がないんじゃないかなと僕は思いますね。
個人の感想は他者への押し付けにはならないので思ったことを書きますが、多くの人はただ仕事をして死んでいきます。
多くの人に存在を知られることなく死んでいきます。
それでいいじゃないかなと思います。
知られないということにもメリットがあるわけです、例えば誰でもという意味で使用できる、紹介した本の中でも出てきた言葉で「ユビキタス」という言葉があります。
これを調べてみます。
ラテン語で偏在するやあらゆるところに同時に存在するという意味からコンピュータでネットワークをいつでもどこでも使用できるという意味で使用されるユビキタス社会というものがあります。
いつでもどこでも他人が自分のことを認識しているなんて気持ちが悪いと思いませんか?
イケメンや美女が自分のことをよく思ってくれることを嫌がる人は少ないと思いますが世の中そういう容姿に優れた人間ばかりでないことをみんな知っていると思います。
容姿で人を判断することは悪いと思われがちですが、面接であれば同じ才能、能力だと思われる場合には容姿が優れたほうを採用するのが一般的です。
つまり、容姿が優れないということは社会的に損をすることが多く、性格がねじ曲がっている可能性があります。
そんな人たちから認識されるとどうなるかは容易に想像がつくと思います。
知られないことも立派な防衛術だと思いますのであまり目立たないでくださいね。
いくらお金があっても死ねばすべて無意味ですから。