Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

我慢という呪いについて

我慢は皆さんしていますか?

 

僕は、あまり我慢というものをしません。

 

嫌であれば放棄してしまいます。それでいいと思っています。

 

我慢というものは、したらいいというものでもなく他人からはその人が我慢しているかなんてわかりません。

 

何が言いたいのかというと、我慢は呪いなのです。

 

そうして我慢をするんでしょうか?我慢をすればするだけ何かもらえるんでしょうか?

そういう風に教えられてきたんでしょうか?

 

違いますよね、怒られたり嫌われないように耐えているんですよね。

 

どうして嫌われるのが嫌なんでしょうか?

 

そういう風に人間はできているんだと思います。

人間が感じることすべてはその生物の能力によるものです。

 

嫌だなーと思えることはどう考えても回避するための能力です。

逃げろと体からのシグナルなのです。

 

我慢はそういったシグナルでしょうか?

 

少し嫌なことがあったので耐えたというのは美談かもしれませんが、少しというのは感覚であり他者からすればかなりつらいことかもしれません。

 

我慢をするということは他人もこれくらいなら大丈夫であろうという指標にもなりかねません。

 

相手が言われたら死ぬほど嫌なことかもしれないことを言ってしまうかもしれません。

 

我慢というのは呪いなのです。

 

全ての人が我慢をしなくなればこの世界は終わります。

国という概念がまず機能しなくなります。

その世界では我慢どころか殺されかねません。

 

では、我慢をしないといけないのかという問題になりますが、しないといけません。

 

おかしいじゃないかと思う人もあるとは思いますが、この我慢という呪いはフォーカスすると発動するのです。

 

しんどすぎて自分は我慢をしている、耐えているんだという認識がさらに苦痛を呼び寄せます。

 

普段、私は我慢をしているという認識を大きく持っている時点で精神疾患があるのではと思います。

 

それは我慢してはいけません。休んでください。

 

この世界ははっきり言って、一部の人間がその人たちがいかに楽をして人間をこき使い楽しむかというものになっています。

 

残念ながら、その構図は壊してもまた出来上がります。

 

そんな欲ばかりの獣は放っておいて自分の人生を見つめてください。

 

1週間の内、8時間も働いているとおかしくもなります。

どれだけ技術が進歩しても労働時間が変わらないのであればおざなりでいいんです。

 

呪いはいつか死に至るので、まさに人生みたいですが楽しくぱーっと生きましょう。