Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

人生何をするか 価値の相対

この題名は僕自身をかなり強く肯定するためのものです。

 

多分、正しくて「真理」だと思っています。

 

人生とはまず個人の生まれてから死ぬまでの時間をそう呼ぶんだと思います。

例えば、排せつをするときもいじめをするときも人を殺す時も、人を好きになるときもすべて人生の一部になります。

 

後悔しない人生や、価値ある人生とは何でしょうか?

これに関しては結構悩んで時間を費やしてしまった人がいるんではないでしょうか?

僕の所感は、価値というものを具体的に決めている人やそうでない人で全く異なる上、比べられるものではないと思います。

 

実際に僕と大谷しょうへい選手の人生を比べてみましょう。

 

彼は、ざっと身長が高くてスポーツ選手の中でも容姿が優れていると思いますし、僕が一生で稼げるお金の何百から何千倍もの収入が予想されます。

 

それでは僕と彼の人生はどちらが優れているでしょう?

 

これは僕にはわかりません。

 

なぜかを詳しく話していきます。

 

まず、身長についてですが僕は背が低いといわれたことは成人してから一度もありませんし自分でも背が高ければと思うことは特段ありません。

 

まず、他人が自分にとって欲しい特徴を備えていたとしてもそれは相手の特徴であって自分のものではありません。

技術が発達し、なりたい姿になったとしてもそれはあなたではありません。

うらやましいという感情が発生することはありますがそれはあなたたちの向上心や審美眼の現れであって劣等では決してないのです。

 

身長が高くて得をするのは特定の行為のみで身長が低いことにも同様に存在します。

 

そして何よりスポーツ選手としての適した体躯ですよね。

僕はスポーツ選手は広告として扱っているので虚業としてみなしています。

これは僕の価値観なので侮蔑の対象になります。

 

体躯が適していてその種目に関心を持つことが出来、尚且つ環境が整っていたから彼は野球選手になれたのです。

 

底辺職と呼ばれるとび職もトラック運転手もなりては同じように環境があっていたからその職に就いたのです。

 

これは何が言いたいかというと、その職業の社会的な地位などではなく単に金が多く手に入る職業として認知されており尚且つ、本人がたくさん稼いでいることをみんな知っているので憧れの対象になったに過ぎないと考えています。

 

彼が人間の関心ごとの大きな一つである収入という、人生をかけて行う受験による対価のような賃金よりもはるかに多くの賃金がもらえている、ただそれだけのことなのです。

 

球を速く投げれるのもそういう体に生まれることが出来たからですし、容姿も親の遺伝子が現代に適した容姿の配合になっただけのことなのです。

本人はただ好きなことを続けているだけなのです。

 

多分、反射的に人気者に物申す時点で、決めつけやレッテルが多分適用されますので現実世界では言わないほうがいいです。事実だとしても蔑まれます。

 

金という指標、年齢、容姿、などの指標で人生の価値は決まるでしょうか?

 

皆さんが知らない人がとんでもなく自分に貢献してくれていても大谷選手より劣った人生だと思うでしょうか?

 

そんなことは人間でしたら多分言えません。

 

人生におよそ価値といわれるものの見方は多分持てないでしょうし、自己が満足できるかどうかでしかなく満足できようができまいが生まれたら死ぬだけです。

 

失うことを生きているうちに知れば今を肯定するために過去未来を肯定するために価値なんてものを利用しようとするから不幸になるんです。

 

失うという言葉も間違いです。

 

なぜなら人間が死ぬということは何も所有しないことと同義だからです。

 

人間の行動はただ「している」だけでそこに価値を見出して有効活用するのはとても素晴らしいことだと思います。

 

何もしないニートも寝たきりの老人も絶世の美女もクラスのマドンナも等しく生きて等しく死にます。

 

そこに価値を持ち出すといずれ自分に悪影響が発生して襲い掛かることになるでしょう。

人間はそういった決めたことに関しては自分も当てはめてしまうので、まじめな生き物なのです。

 

人生何をしてもいいのです、先ほど書いた虚業だという考えも、もし自分が虚業だと思う仕事に就いた場合、とても苦しく無意味な時間に感じるでしょう。

 

だから、他人に対しては無関心くらいがちょうどいいのです。

 

他人にやさしくは自分のためだったんですね。

 

価値なんて存在しないことはとてもいいことです。

 

自分で賞賛することは構いません。

 

ああ、私の人生はとても良かったと思いながら死ねる人なんてほぼいないでしょうし、死ぬことなんて考えなくて構いません。

 

ただいま、目標や目的がある人はそこにちゃんと向かっているのか進捗はどうなのかを確認しながら頑張って人生をより良いものにしてください。

 

人生はとても短いです。

 

仕事をしている人であれば本当に仕事が人生といえるような時間の割き方をしていると思います。

 

後悔しないようには、後悔しそうな時は自己を顧みろということであって将来的に不満を持たないようにということではないと思います。

 

ですので、仕事が嫌な人はやめてしたいことをしてください。

 

明日にも死んでしまう可能性はありますし、仕事を辞めた結果後悔してもそれはわかりきったことだと思います。

 

なんとなくみんなと同じように生きていたら平均寿命に達してしまい、やりたいことに挑戦できないようになってしまったなんていうことにはならないように気を付けてください。

 

集団に属して得られる安心は単なる思考放棄です。

 

ずっと不安だけれど、確かにどうにでもなるような力が自分にはあるというのが正常だと思います。

 

不安に打ち勝てる自分をめざして僕は生きます。

 

かなり根性が必要だとは思いますが、人間はそれを何度も繋いできたから自分が今ここに存在できているのです。

 

自信をというものが何かを聞かれたらすぐに答えられるような人間になりましょうね。

 

この文を読んでくれた、僕と人生が交差したあなたにエールを送りたいと思います。

 

私たちは単なる物質の振る舞いの一つにすぎませんが考え方ひとつで宇宙よりも大きくなれます。

 

決してその考え方を考え得るあなたが、不本意な生き方をしないよう願います。