Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

自分が死ぬんだと自覚したこと

僕は自分が死ぬだなんて信じられなかった。

悠久の時を生きられるということを信じていたわけじゃない。

しかし、本当に自分というものを表すこの知覚している意識が失われるなんて実感がずっとなかった。

 

知識としては、自由意志が脳からの信号を拒否することができる0.2秒であったりするのが人間の自由意志と呼ばれる唯一の今現在存在する研究結果だとかは知っている。

そして、生きるということは死ぬこととセットであることも知っている、人間の言葉の定義によるのだから当然だろう。

 

ではなぜ僕が死んでしまうという強烈な実感を得たのかを話そうと思う。

これは決して希死念慮であったり死ぬことを推奨するものではないことを理解していただきたい。

 

僕が気付いたきっかけはいわゆる、「老化」である。

 

何を当たりまえなことをと思うかもしれない。

でもこの気づきは僕の人生の中でとても大きな転換期だと思う。

 

夏が近づいてきたこともあり、薄着で生活していたのですが僕は男なので金玉ぶくろがあります、その金玉袋にしみが出来ていたのです。

 

まだ若いと思う年齢であるはずが老いの象徴ともいえるシミが発生していた。

途端に地面に足から重力を受けた体全身にぬかるみに足を取られた時のような不快感と共に暗黒という言葉では表せないような黒々とした空間が僕を包んだ。

 

ああ、僕は死ぬんだなと思った瞬間、したいことをしとかないと老化で死ぬということは死ぬ前にボケるかもしれないし病死するかもしれないという知識としてはあったが実感、クオリアをそこでやっと得たのだ。

 

僕が感じたことをこれからも発信するのでよかったら見ていただきたい。

 

いつか、死ぬということはそんなに悪くないかもしれない。