Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

戦争と政治と国民

最近は政治的なニュースを多く見かけます。

 

簡単に話しますが、国のためというのはある種のうぬぼれです。

自分が生きていくのであれば、どこだって生きていけますし、何より立ち退きなどでずっと住んでいたところを追い出される行為は多く存在しています。

退かない場合は、悪者としてみんなの頭の中で処理されるでしょう。

立ち退きを迫られた人からすれば、その土地で何十年も生活をしていた可能性もありますし、その土地こそがその人からすれば日本であったかもしれません。

みんなの利益のために日本を奪われた被害者を悪者扱いする人が日本には多く存在していると思います。

 

では、最近のニュースで少子高齢化や戦争、政治の長を変えろだとかいう話題はどう見ればいいのでしょうか?

このブログは、僕の宇宙のような頭の中を言葉で模しているものでありますから、完全に僕の主張を反映させることはできません。

 

僕が考えるに、馬鹿が馬鹿について考えるとろくなことにならないということです。

馬鹿とは何か?

馬鹿とは、主たる話題の中で明らかに間違った主張をして自己を顧みない人のことです。

ですので、一般的には賢いとされる東京大学卒業という肩書を有していても馬鹿な人間足りえるのです。

 

では政治について軽く話します。

政治、ここでは間接民主主義制度になりますが、国民が立候補者又は政党からの立候補者、小選挙区比例代表並立制ということになります。

要は、馬鹿でも当選するという気狂いじみた方式です。

 

政治に何の関心もないノンポリティカルコレクトネスと呼ばれる人たちは投票に参加しません。つまり、白票ですらない無効票になります。(厳密にはわからない)

 

政治に少しでも興味のある人が投票しますから、支持政党というのがあってもなんらおかしくはないのです。

しかしここで疑問に思ってほしいんですが、そもそも政治というものは何でしょうか?

 

私たちの人生を成り立たせてくれる環境づくりをするのが政治でしょうか?

ここは、辞書通りの意味を引用したいと思います。

【定義】
統治者・為政者が民に施す施策。まつりごと。
  • 国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。広義には,諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整することにもいう。  

だそうです。

定義からすれば、多分人間には実行不可能な定義だと思います。

レントシーカーなどが跋扈している今をみても歴史を見てもなんら変わらないということになります。

 

どうしてそうなるのかは、欲に対して素直であるということと抑制力がないと人間は獣と大差ないという理由になります。

 

僕はテレビを有してないのでわかりませんが、テレビに映る人間というのは例外なく自分のしたいことをしている獣だということです。

 

獣と人の違いはどこにあるでしょうか?

言葉を使えることでしょうか、精巧な建築物を建立できるところでしょうか?

僕が思うに、想像力によって思い込んでいるだけで人なんていう高尚な生き物は存在しません。

生物学上存在するだけなのです。

 

そんな生物、獣を人にしてしまうような自由な生き物が政治なんて行ったら好き勝手に想像をしてあの人はいい人だわとかあの人は私たちを救ってくれるに違いないなどという勝手な妄想をして僕たちの生活環境が一変してしまいかねない原因になっています。

 

政治学者でもない、経済学者でも農学者でもない人間に投票させて何物でもない欲の権化が政治家になる。

 

これでよくなると思えるのは能無しです。

 

こんなバカげたシステムを大勢が認めている、もしくは興味を抱かない人により機能しています。

 

多くの国民は馬鹿であり、馬鹿により行われる政治、そして馬鹿のみが死ぬ戦争。

 

起こりうるのがわかりきった現象が戦争なのです。

 

どうしようもないのです、ですからこのことを理解している人間はお金をたくさんため込んで外国語を覚えてこの国が凋落した時には外国に渡り生き延びるのです。

 

ですから最初に言った通り、国なんてものはその程度のものなんです。

今日もどこかで戦争を起こして儲けようと考える賢きものにより馬鹿がお金に変えられてしまいす。

 

この構造は誰にも変えれれません。

自分が信じるものを否定される時、自分が費やした時間や労力をサンクコストにしたくないが為に人を殺す人たちが多く存在する国があります。

 

その信じるものが「神」であれば、無視することをお勧めします。

 

自分を殺そうとする存在を肯定する馬鹿によって殺される前に、賢くなってください。

 

死ぬよりは殺すほうがみんないいでしょうし。