国という概念、仕組みは明確な定義の元に成り立っている。
国は以下の要素、「国民」「領域」「主権」の3つになります。
人口設計という文言から推測されると思いますが、国民が大きな主題となります。
国民については、いたって普通の言葉だと思います。
では、国民が減るとどうなるかを考えてみましょう。
国民が減るということは、国家が縮小することに繋がります。
国家縮小ということは、国土に多くの価値ある資産があれば別ですが日本に限ると資源というものが他国と比較して少ないので価値を創造する数が減りますから国家の予算が減り、国家防衛に割ける国防費が減るということになります。
国力が低下するという表現もできるということになります。
大げさな言い方だと思われる方もいらっしゃると思いますが、子どもを産み育てるということは生物的にはもちろん、国家を形作るということに寄与するということになります。お金は人がたくさんあればだれが所有していても同じ価値を持ちますが、子どもは誰も所有することができない価値自体を創造するかけがえのない存在なのです。
子どもを育てもしない生みもしない虚業を営み生きている人間も今は多く存在しますが、それらは一切悪くないのです。
なぜ、悪くないのかは単純です。
頭が悪いからです。
頭が悪いというのは、己の快感だけを優先して国という概念のことすら考えられない頭脳の持ち主です。こればかりは教育が悪いと言わざるを得ません。
日本は敗戦したその時から、アメリカの圃場になったのです。
ただ、作物を栽培して時期が来たら刈り取る、ただそれだけの供給システムの一部に成り下がりました。
では、近年なぜ人口減少や少子高齢化が口うるさく報道されるようになったのでしょうか?
答えは、金になるからです。
人口減少を止めるんだという理由であればいくらでも予算を出せるからです。
この国は、プライマリーバランス黒字化目標という気の狂った考えのもと日本人の資産を削ろうとしています。
支出を収入より減らそうねというものになります。
嘘をついていても、子どものためといえばだれも口を出せないと思っているんでしょうね。
そうして、政治家のお友達や献金者に都合のいいように中抜きもしてお金持ちになろというのが今の政治家の特徴です。
では、お金がないと人は子作りしないのか?という問題が出てきます。
答えは、知能によるという感じになります。
こればかりは大きな話になりますが、出産子育てというのは人生をかけた大きなイベントの一つです。
ダウン症や発達障害を抱えた障害児を一生面倒見ないといけなくなるリスクも当然あります。これは、出生前診断等で事前に分かれば堕胎させることも可能にはなります
つまり、リスクのみを見るととてもじゃないがばかげていると思う人も当然現れます。
その人自身が、そうした親の犠牲により誕生して尊重したい自己を持てたというのにそういう人も存在します。
おりこうさんが増えると人口は減ります。
しかし、それは本当に賢い選択といえるでしょうか?
ここは、自分で考えてみてください。
そうして、お金があればどんどん子どもが増えるのかというとそうではありません。
これは、教育でしか解決できないのです。
生むのが当たり前、育てて当たり前、疑問に思うこと自体がタブーくらいがちょうどいいと思います。
ここで、昔と比べて不満はどうなったでしょうか?
昔は、周囲の人間に話す程度だったのが、今では世界中の不特定多数に個人が通信料金さえ払えば自由に発信することが可能になってしまいました。
ユビキタス社会なので誰もがモバイル端末も手に愚痴を言えるようなってしまったのです。つまり、自分が思ってもない、感じることもなかったストレスをそれを見ることによりこれもストレスなんだと認識できるようになってしまいました。
これは本当に恐ろしいことです。
子育ての面倒さが事前に特大の嫌な言い方で縦横無尽に拡散されることになります。
そしてネットを使用することでSNSという悪魔との契約により手にすることができる堕落マシンをいつでも使用可能になってしまったのです。
僕が一番何が恐ろしいかというと、「感情の制御」をSNSに委ねすぎているということが恐ろしいのです。
例を挙げます、例えば小さな花が咲いていて奇麗だなと思ったときに次行動が可能になります。
①花が奇麗で嬉しいなと心に秘める。(感情として自分で受け止める)
②友達にスマホでチャットで話す。
③SNS等で不特定多数に写真付きで投稿する。
これらの中で人生で必要なものは①です。
②はまだましだといえます。
③は最低です。
その理由は、自分の中で湧きおこる感情を外部機器にて処理しないとどうしようもできなくなるからです。
つまり、何かあったときに自分で対処できない人間が生まれるのです。
そんな人間が親になるとどうなるでしょうか?
子育ての愚痴を子どもが泣いているのにもかかわらず放置してSNSに夢中になってしまいかねません。
子どもをあやすのにモバイル機器を与えて構うことさえ面倒になってしまいかねません。
ここからわかるように、スマホなどのネットワーク環境を手軽に使用できてしまうことが原因の大きな一つの要素になってしまっていることがわかります。
SNSは気軽に他人と会うことが可能なので、望まない妊娠や事件の原因にもなります。
これは男と女の関係というよりは自分自身との向き合い方でしょうね。
男とは何か、それは強くたくましいそして家族を養う大黒柱である。
これを、現在の国会議員が発言したらどうなるでしょう?
とても叩かれると思います。非難されます。
どうして非難するのかを考えてみましょう。
男とはという性別に対する固定されたイメージを極度に嫌う傾向があるため、そして家族を養うというのは女もやっているという拡大解釈、書いていないことから攻めるというやり口によりほぼほぼのことに対して批判ができるようになるためよく用いられている手法です。
とりあえず自分は自分という考え方がここには色濃く出ていることがわかります。
子どもを産めば母親、そして妻、そういった固定化された考え方つまりは定義に近いものまで拒否反応を示してしまうことになります。
そういった人間たちが仕事で疲弊して帰り、家ですることがオナニーやSNSであった場合どうなるかはもうわかると思います。
男と女から考えると恋愛に対して億劫だとかいろいろあると思いますが、この世界を肯定つまり観測者である自分の人生が豊か且つ伝えたいという思いが持てる人間でないと子育ては厳しいと思います。
繁殖は簡単ですよ、恋愛も子育てもする必要のない獣じみた下等生物でも行えることですから。
これらのことを見てまだ子どもが必要ないといえる人がいればそれは、この文を文字としてみているSNS中毒者のみだと僕は思っています。