Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

気付いた僕のこれから

このまま人生が終わるんじゃないかなんていうのはありふれた疑問の一つだろう。

このまま人生がという言葉のこのままというのは多分、ありふれた学生生活や仕事を単調にこなして老いて死んでしまうというある種の幸せな人生のことを多分指していると思う。

このままではいけないという考え方が生まれるというのは僕の推測ではSNSなどでいろいろな人の人生の一瞬を短時間でみられてしまうということが大きな要因の一つだと考えている。

この、SNSで見る他人の人生はどういうものが多いだろうか?

私がよく目にするのはTwitter(現:X)ですがTwitterはいろいろな人がよく口論をしているところが散見されます。

こればかりを見ているとなんだか口論が多い世界なのだろうかと勘違いを起こしてしまう人が出てしましそうですね。

僕はTwitterをよく利用しますが、これがインスタグラムだとどうなるでしょうか?

これは個人的なブログなので個人的に思った、感じたことを独断と偏見で発信します。それは違うんじゃないかと思った人がいればどんどんコメントしてくださいね。

 

インスタグラムを使用すると他人の成功や自分より外見や社会的な地位的に優れた人がその日や最近で一番きれいな瞬間を画像やコメントで表現します。

なのでそれを見た人はどう考えるでしょうか?

多分、自分と比較すると思いますし、嫉妬や自尊心のゆらぎに繋がってしまうんじゃないかなと考えています。

 

これらを踏まて、このままというのは現状に危機感や何かしないといけないのではないかという焦燥感の現れを感じ取ることができます。

 

これは、本筋とは違った話になりますがSNSなどは心身に悪影響を及ぼす可能性があります。人間は言葉で考える生き物ですのである程度他人が発する言葉に影響されます。それを自覚できる人とできない人がいると思います、影響されるというのはいい影響を受ける時もありますがよくない影響を受ける時のほうが多いと思います。

なぜなら、人が興味を抱きやすい事柄、事象は過激なことが多いことが一般的です。

それらを、日常的に大量の情報と共に見るとどうなるかは今の社会を見れば易々と理解できることでしょう。

ですので、このブログを見ている賢い皆さんはSNSを使用することは極力控えることをお勧めいたします。その代わりに家族との会話を優先したり、散歩をしたり、学習などに時間を割くほうが人生が豊かになると思います。

 

それでは続きですが、このまま人生が終わるとどうなるのかについてですが、自分という有機生命体が人間としての生命活動を停止し、社会的に死亡者として生きていないという状態になります。

 

それがなぜ、考えることにつながるのでしょうか?

それは、選択肢が無限にあるだろうという期待から生まれていると考えることができます。私には今ある生活が続くよりももっと刺激的で他人に誇ることができるようなそんな人生があるのではといった人生というものをある種、作品としてとらえているような考え方だと思います。

今のままでは凡庸な人間のよくある人生で終わってしまうというような感じだと思います。

 

さて、これがなぜ気に食わないのかは先ほどのSNSの影響と単調な日々に飽いてきている証拠だと思います。

 

では僕がそのこのままでは人生が終わってしまうのではないかと感じた一人として、どう今後の人生を展開していこうと思っているのかをここに記し、残そうと思います。

このブログではKの独白 日常ジャーナルとして銘打ち、僕の思考を不特定多数のどこの誰かもわからない存在に伝わるだろうというような期待をもとに継続されるであろう行為の一つです。

 

一人称が変化することがありますが、その時の気分次第なので気にしないでくださいね。

 

人生の単調さというのは多分どんな人も共通しているとだろうと考えています、その理由はまず人には自分と他人との思考の境界線が当然脳で区切られていますから自分と他人として日々生きていることになります。

そんな当たり前のことをと思うでしょうが、ここが重要なのです。

自分の人生を考えてみてください、何歳かはわかりませんが多分、15歳よりは上だと思います。僕のブログをここまで読める方は大した人間でしょう。

学生として学んでいるのであれば、自宅と学校への往復でしょう。

社会人であれば、自宅と会社、あるいはリモートワークであれば自宅のままかもしれません。

そうなると、学業か仕事に1日の大半を費やすことになります。

それが5日連続して2日休みですから、学生の場合がわかりませんが社会人であればこれが一般的だといえるでしょう。この一般的ともいえる生活モデルであれば1日5時間程度の時間が猶予として存在することになり、その5時間で単調な仕事をしていた記憶の印象を打ち消す新鮮な行為を行わないといけないことになります。

単調な仕事ではない!いう方がいることを望みます。

そうして、この生活モデルを続けていると大半の人間は人生に飽くことが予想されます。その証拠とまでは言いませんが、酒やたばこなどの身体的に有害なものに金を払い定期的に摂取する存在が確かにあります。

 

人生の単調さについては軽く触れましたが、このままの人生というこのままについては言及しましたが人生のほうへはまだ足りないので話すことにします。

 

人生というと、人の生涯や生まれてから死ぬまでという表現があります。

このままのつまり、単調ではない私の行動の積み重ねといえます。

はい、行動の積み重ねという言葉で表しましたが行動というのは1日における選択のことなのか1年において主だった選択ではない極めて他人とは異なった行為なのかはわかりません。

ではここで、普通ではない人生を紹介したいと思います。

生まれてから死ぬまでに他人に強烈な承認された人の人生は一般的に普通ではない生涯、人生だといえます。

 

普通と特別な人生の違いは、死後も名前が残るか、生きている間に多くの人間に支持され称えられるかという違いがあると思います。

 

畢竟、他人に存在を肯定され持て囃される、尊敬されるということが普通の人生と特別な人生との違いだと思います。

当然ですが、多くの人に認められるということは金銭的に困らないことが多いです。

故に、お金持ちになりたい人は有名人になりたがりますが、僕は他人に認められたいだけなんじゃないかなと思っています。

 

これで、このままの人生については解説できたと思います。

 

では、正直くだらない理由が原因で人生を迷走させてしまう前に気付けた人はどうしたらいいのか、これからどうしたらいいのかについて考えてみましょう。

 

まず、有名になるというのは難しいことです。

先述しましたが普通、社会人には5時間程度しか平日に自由にできる時間がないので、そこから他人の動向を確認する時間は、あって2時間程度でしょう。

その時間で、新規の所謂、推しを探すのは大変だと思います。

その証拠にyoutubeの登録者は多いが再生数が少ないという現象がそれを表していることになると思います。

 

歌手などはごり押しでどうにか一時的に人気にさせることはできるかもしれませんが長くは持ちません。

 

では、私たちにできることは人生をできるだけ安定といわれるお金を貯める行為を続けて安心を手にし、少ない時間で他者にアピールをし続けることだと思います。

 

若き魂を有している人はこんなことを言われても俺、私には無限の選択肢があるんだと思われるかもしれません。

では、頑張ってそうしてみてください。

選択肢はあっても、因果ですから結果がどうなるかはしてみないとわからないものです。しかし、準備をきちんと行えたものに関しては結果がいいものになるかもしれません。

挑戦しなかった者や挑戦しようとしなかった者を笑うことは決してしないようにしてください。いずれ失敗したときにその行為は自殺にいざなってくる可能性がとても高いです。それと。私たちの人生を成り立たせてくれる運送やガス、水道に電気などほぼ全ての産業はそういった人たちがいるおかげで成り立っています。

もし、一つでも欠けたら僕たちは人生を終えることになります。

 

この、葛藤を抱える人間の一つとして僕はこの、このままでいいのかという疑問と戦います。

 

そんな僕の日常を発信いたします。

 

応援していただくことや批判や誹謗中傷は大いに大歓迎です。

 

自覚したからこそ、逃れられない心底湧き上がる人生への期待は間違いなく今ここにあります。目を背けることなく恐怖心や逃避したいという感情と真っ向から対峙してどうにか選び取りたいと思います。

 

若き魂を持つ万人たちよ、決して自ら死ぬことなかれ。