Kの独白 日常ジャーナル

気付いた僕のこれから

学習と釣りの類似点からの考察

皆様は多分、日本人で義務教育を修了していると思いますので学習を行う上でわからないかもしれないという恐怖感のようなものを体験したことがあると思います。

 

それに似たことが釣りにも存在します。

 

釣りというのは主に海釣りを仮定して話しますが、大海原で尚且つ丘と呼ばれるような波止場や防波堤での釣りを指す場所で釣りをすることがあります。

 

そうなると、かなり大きな海で限られた数十メートルから数メートルの距離をラインと呼ばれるナイロン製やPEラインと呼ばれる編み込みがされた(詳しくは調べてみてください)糸を使用して釣りを行います。

 

魚は活性と呼ばれる、食欲の波があり、それは朝や夕方のような太陽の昇降や潮の満ち引きによって変化する食い時があります。

 

その時間を狙って主に釣行することが多いです。

 

ですので、釣れない時間というのが確実に存在します。

釣行に行く回数が増えると釣果が増えるというものでもありません。

 

僕が好きなのはジギングと呼ばれる、メタルジグという金属でできた疑似餌を用いて大型の青物を釣る釣り方になります。

 

重量は竿やリール(糸を巻く機械)にもよりますが、40から60グラムが使用されます。

者によっては100グラムより上のものが使用されます。

 

そのメタルジグを使用して、海に対して投げて釣るのです。

 

限られた時間でどれだけ投げてアクションをするかになるのでかなり体力を消費します。好きな人は仕事前にも釣りに行くので釣りバカなどと揶揄されますがかなりすごいことです。

僕の場合は、朝の4時に起きて1時間かけて釣りに行ってました。

 

この釣りは、釣れるかが全く分からずに尚且つ場所も決められていないので自分で情報を集めて選定して考え、眠い目をこすりながら向かうのです。

 

釣り場に向かい、準備を行い何度か練習で海にジグを竿を振って投げ入れます。

 

深さを確認してジグが着底したらアクションを行います。

 

このアクションを行うことで魚にアピールを行って、食わせるのです。

 

ちなみに僕の人生で一番興奮をしたのは多分、試験の合否発表かこのジギングで魚が釣れた時のどちらかです。

 

それぐらいに興奮を引き起こす行為なのです。

 

なぜそんなに興奮するのかですが、釣れるかもわからないところにわずか10センチ程度の金属を細い糸につけて引いたりするだけで魚が釣れるのです。

 

これは人間の想像力をかなり引き立たせます。

 

いま、どこら辺の層にジグがあってどんな動きをして魚はいるだろうか、追いかけてきているだろうかなど妄想しながら必死に不断に竿を動かし続け、リールを巻き続けるのです。

 

何度もなんども。

 

この釣れてくれと願う行為がどれだけ美しいでしょうか。

今、この文章を書きながら泣きそうになっています。

 

ほぼ、祈りなのです。修行僧のような高潔でもあります。

 

自分との戦いなのです。

 

釣れなければ反省をして、場所を変えアクションの仕方を変えてまた挑むのです。

 

これは、学習に共通していると思います。

 

学べば必ず受かるものではないですし、会得できるわけでもありません。

 

それでも、あきらめずに毎日机に向かって出来るようになるかもわからないのにやり続ける。

まさに、釣り人なのです。

この不安感と戦い続けた人にだけ、成果は現れます。

 

釣りなんてどこが学びなんだよと思う人もいるかもしれませんが、釣り場までの経路や漁業権の有無に釣り方であるアクションや投げ方。

ラインの結び方に仕掛けの作り方、釣れた後の血抜きの仕方や神経の締め方に魚のさばき方。

 

これらは学びです。

 

したいことがあり、それを学ぶことに優劣や難易度など全く関係しません。

そんなことを言う人がいればそういうことを注意されなかっかかわいそうな人なので放っておきましょう。

 

好きなことやしたいことにできるかどうかなど関係ないのです。

 

とりあえず、やる。これしかありません。

 

悩む時間がもったいないのです。

 

僕の場合は、釣りでしたが学習はかなりわかりやすく仕方が研究されています。

 

多分、ある程度までであれば知能に問題がない限りなんでもでいるでしょう。

 

釣りは魚がいないとどれだけ学んで、技術や道具をいいものにしても釣れません。

そして、魚がいないかどうかを確認する術がありません。(船釣りを除く)

 

全ての道具は、他人の学習によって生み出されています。

 

例えば、ラインの引っ張り強度が必要な値までなければ断線してしまい使い物になりません。

リールのトルク値が必要なだけなければ、大きな魚が釣れても釣り上げることが出来ません。

 

すべて、必要とするものは他人のおかげで存在します。

 

僕も、どこかの分野でそういった貢献がしたいのです。

 

もし、コンドームがなければ避妊が出来ずに望まれない妊娠が多発してしまうでしょうし、性感染症が蔓延するでしょう。

 

そんな風に、必ず正規の方法で求められる働きをしていれば必ず感謝されます。

 

釣りと学習の切り口からこのように考えることが出来ました。

 

問題があるとすれば、釣りにおいてはロスト(仕掛けを失う)により海底にゴミが蓄積してしまうことが懸念点になります。

 

これらも技術力で解決していきたいですが、金にならないことはみんなしようとしたがりませんのでどうにか気づいた人が行わないといけない気がします。

 

世界中の人がそんな余裕を持てる技術が出来ればいいなと妄想しております。

 

本日も新たな妄想ができることに感謝をしていきたいと思います。

 

ありがとうございました。