怖い、恐ろしいと思うことはだれしも経験をしたことがあるだろう。
怖いというのは危害がありそうであったり何か嫌なことが起こるという気持ちや不思議なことが起こるのではという正体不明であったりするものが多くを占めていると思う。
つまりそのもの、対象を知れば恐怖は取り除かれる可能性が大いにあり得る。
勿論、生理的な高所であったり刃物というものに対する外傷的な恐怖は痛みであるから取り除くことはできない。
知ればいいのだと僕は結論付けた。
しかしながら知るといっても深ければ深いほど未知は増大するもので底が知れない。
人類自体が到達していない情報もある。
ということは初心者は何も恐れることはないのだ、恐れを発生させるところにまで行くには膨大な時間と努力が必須だからである。
とはいえ、人間には恒常性と呼ばれる行動パターンを繰り返すことを気に入る脳の性質があるので新しいことを取り入れようとすると拒否反応を示すのだ。
拒否反応をなくすには習慣化させるほかない、その間は恐怖と対峙することになる。
最近では、このホメオスタシス(恒常性)が注目されており、サーカディアンリズム(概日リズム)もその一つだとされている。
そうして恐怖の正体を理解すれば解決できるのだ。
人間は都合よく生物なのでこういった地味な作業であらゆる可能性が発見される。
知らないことはもったいないのだ。その気持ちを持つ人は日本にはたくさんいるだろう。
知ること、『すべて知り尽くしてやる』といった感情が大切なのだ。
そして、本に載っていないことを発見して後世に残す。
その積み重ねで僕たちはこんなにも裕福で便利な世の中に存在することが出来ている。
調べ尽くす、これには途方もなく膨大な時間が必要になる上に、必ずできるや必ず分かる、矛盾するかもしれないがわからなくてもどうにかなるという気楽さも同時に必要になる。生真面目すぎると精神を病むことが多く報告されているからだ。
その一例として、医者は過労死しやすいというイメージが多くの人にあるだろう。
自分という人間への尊敬の念が重要になってくる、出来ないと思っていることをする人間はいない。これは言い換えれば、少しでも六法全書を開いたことのある人間は法律家を目指そうと思ったことがあるといっても過言ではない。出来るとそう思ったのだ。
積み重ねるには多くの時間、自分との戦いが始まる。
出来ないんじゃないか、自分は劣っているんじゃないかと自分を軽んじることがあるはずだろうからその時はこう思い返してほしい、調べ尽くしてやると。
そうすれば、分からないことなんてないのだから不安になる必要はない。
学習は必ず釣れる釣りのようなものだ、恐ろしく単調で面白みがない。
だから、あえて難しい問題に取り組んでしまう。
この必ずというのは行ったものにしかわからない。
人生は、自分が主人公なのだ。
どれだけ自分と他者を比較しても君は自分を死ぬまで生きるのだ、生かすのだ。
誰だけぶさいくでも背が低くても君は君なのだ。出来ることをしよう。
君にしかできないことはただ一つ、親になることだ。
それは自分を育てることも然り、子どもを育てることも然り、他人を育てることも然り。
理由は要らない、ただ行動するんだ。
必ず、他者が見ていて評価をしてくれる。
魅力的な評価でなくても君は一人なんかじゃないんだ。
空気を共有している、お金を共有している、法律を共有している、人生を共有している、僕たちは一人ではない。
恐怖は知らないことなんだ、見えないことなんだ、暗闇なんだ。
知識という光で暗闇に光を差し込もう。
僕らはしたくないと思う時、その行為の重要性を理解している。
だから、したくないのだ。苦しいのだ。
僕は、今怖がっている。
しかし、光を求めていつ落ちるかもしれない暗闇を手探りで歩いている、そしてその足はとても力強く地面を踏みきっている。